ひでり日記

HSS型HSP気質の私が感じていること

【#6】心が廃れていたので、映画を見て泣いた話『フォレスト・ガンプ』

6回目の記事になります。ひでりと申します。

適応障害になってから数ヶ月が経ち、自分の心の安定を取り戻そうと試行錯誤をしていたのですが、

精神的な障害を患った途端、元気な姿で元通りになるということはなく、

波のように良い時と悪い時の交互を付き合っていくことになるんだなと実感している今日この頃。

 

そんな1月10日の今日は、気分がかなり下がっていて、

今までは運動や外出などをこまめに繰り返していたのですが、それさえもできなくなってしまった。

午前中は特にしんどく、ただただベッドで座って目を瞑ったり、椅子に座って目を瞑ったり、

腰が痛くなったら少し経って体を動かしたりと、それぐらいしかできなかった。

 

お昼を過ぎてからようやく心も安定して気持ちも軽くなったので、

いつも書いているノートと映画を1つ見たいと思い、Amazon primeで色々漁った。

その中で、今までずっと気にはなっていたが見ていなかった映画が目に映った。

それが『フォレスト・ガンプ』という映画だった。

 

ラジオ番組やテレビでおすすめの映画としてよく名前を聞いていたのだが、

優先順位を下げて、今までずっと鑑賞せずにいた。

せっかく時間が取れるいい機会だったので、この映画を見ることにした。

 

 

この映画は主人公のフォレスト・ガンプという

知能指数は人より劣るが、足の速さと誠実さだけは優れている主人公の半生を描いた映画だった。

主人公が幼少期からどんな人生を歩んできたかを、

バスを待つベンチで座りながら、隣にいる見知らぬ人に話すところから始まった。

 

本人がこういう目標に向かって歩んでいくという話より、

母親や友人・その時偶然巡り会った人やものに流されるように人生を歩み、

ただただ誠実にこなしたことで、数々の経験をこなしながら、

時には有名人になったり、時には億万長者になったりとしていくのであった。

 

本人は初めから「これをしたい」「これになりたい」ということがなく、

目に入ったもの、たまたま出会した人との交わした約束、その時やりたいと思ったことを

自分の心にただただ正直に誠実に生き続けてきたのである。

 

 

 

 

 

 

この映画を見た後、

何度も涙を流して、自分のこれからの人生を後押ししてくれたような気がした。

 

 

 

ティッシュの消費量は数え切れないほどだった。

 

 

 

 

 

人生を少しでも変えたいと思い映画を鑑賞したのだが、

ある種、人生とは何かの答えの1つを教えてくれたような気がした。

 

主人公の台詞の中にこんなものがあった。

 

 

 

『僕たちには運命があるのか、それとも行き当たりばったり風に吹かれて彷徨っているのか、

 でも僕が思うのは多分その両方なんだ、きっとその両方が同時に起こっているんだ。』

 

 

 

自分の20数年の人生を振り返っても、確かにそんな気がした。

運命のように、これから一生好きになっていくであろう趣味に出会ったり、

行き当たりばったりで、これから先よくわからないがとりあえず進んでみたり、

時にはこの先が見えなくなったり、ふとした瞬間にこれをやってみたいと思ってみたりと。

 

小さい頃から将来を見据えて動きなさいとか、計画を立てて動きなさいとか言われてきたが、

人生なんてものは計画通りにはいかないものが普通なのだ。

 

ただ、それでも主人公が思い描いていた以上の現実を創り上げていた。

そこにはある1つの重要なことがあると思った。

それは、

 

 

 

『これをやると決め、あとは流れに身を任せること』

 

 

 

だった。

 

 

主人公は頭は良くなかったが、足が速かったのでとにかく走った。

それが偶然にもフットボールの監督の目に入り、推薦で大学に入った。

さらに修士号をとり、大学卒業後、進路に悩んでいた主人公は陸上自衛隊のパンフレットを渡され、

流れるように入隊したが、偶然にも規律や規則が厳しい環境に主人公は適していた。

そこで出会った親友とエビ漁の約束を交わし、自衛隊を辞めたのちに漁師となった。

漁師になり、運よく商売が繁盛し億万長者になったら、

母親の病気で実家に戻り、そこで暮らしていた。

実家に戻ったら、幼い時から好意を抱いていた女性と再び出会い、結婚を申し込んだが逃げられた。

満身創痍になった時に、ふと走りたいと思い突発的に家を出て、

約3年も色んな場所を走り回ったところ、有名人になり色んな人がついてきてくれた。

。。。

 

 

そんなこんなで、

主人公がこれをやると決めたら、あとはできることを流れに身を任せてやっていったのだった。

時には立ち止まることもあったし、うまくいかないことも辛いこともあった。

ただ、それでも誠実に一つ一つこなし、辛い現実の中でも感動できること・楽しいことに目を向けて、

生きがいを探していたのだった。

 

 

むやみやたらに自分の人生をよくしようとしても、結果的に後悔ばかりの人生になる。

見栄やプライド・他人からの印象を気にして生きていても、

どん底に落ちた時、今までの自分の価値観を壊され潰されてしまう。

欲を抱き過ぎず、振り回され過ぎず、自分の信じるものを持って、あとは流れに身を任せる。

主人公はそうやってさまざまな経験をしてきたのだった。

 

 

 

この映画を見たことで作り物とは言えども、自分の人生と照らし合わせて、

こういう場面で見栄やプライドが大きかったなとか、欲を抱き過ぎたなと改めて思った。

もちろんそれは自分の人生を良くしたかったし、周りの人にお返しをしたいという心もあった。

ただ、その考えが執着し過ぎた結果、徐々に強欲になり、

 

「もっと自分の人生をよくしないといい人生が送れない」

「もっと自分が成長しないと周りに認められない」

 

という意識が無意識に染み込み過ぎていたのだった。

 

 

日々忙しく、色んな人と出会い、数々の情報を毎日のようにインプットしている私たちは、

自分が今どんなことを思っているのか、どんなことに進みたいのかなんていうのは、

強制的に立ち止まって一回休憩して見ない限り、なかなか気付けないものなのだと思う。

気づけば強欲になったり、執着になったりして、

知らず知らずに望まぬ結果を現実に引き寄せていることになってる。

 

 

今回の映画を見て、自分の人生を大きく振り返ることができたのでとても有意義な時間になった。

自分の人生を何度も振り返ってみてきたつもりだったが、

映画を見たことで、自分の人生と対比してより深く振り返ることができた。

 

定期的に作品に触れるのも、今後の人生を振り返る手段としてはいいかもしれない。

また何かいい映画があったら見てみようと思う。

 

 

 

 

おしまい

 

 

適応障害 #映画鑑賞 #日記 #はてなブログ #HSS型HSP

 

 

 

 

 

【#5】2022年は崩壊と新しい芽が出た年

こんばんわ。ひでりと申します。

本日は12月31日。2022年も残りあと数時間となりました。

 

 

残り僅かとなった2022年。怒涛の年になった2022年。

 

 

今年1年を洗いざらいを吐き出して、新年から新たなスタートを切れるように

ブログを書いていこうと思います。

 

 

まず2022年は怒涛の年だった。

転職、引っ越し、適応障害、失業、アイデンティティの喪失など。

最終的に一言で現すなら「どん底」であった。

 

自分なりに試行錯誤して頑張ってきたものが、

一瞬の判断ミスで人生を大きく狂わせ、自分自身が何者なのかわからなくもなり、

あらゆるものがすべて崩され壊された。

 

もちろん誰かのせいでもなく、自分が下した結果でそうなってしまった。

真っ当に生きてきたつもりだったのだが、残念ながら歩く道を踏み外してしまったのだ。

 

 

どん底」を経験した人はわかると思うが、

この感覚を味わうと自分の人生がすべて終わってしまったと感じてしまうのである。

 

・この先は何もうまくいかない。

・どうしていいのかわからない。

・周りと比べてなぜ自分はこんな目に遭わなければいけないのか。

 

そんなネガティブ感情に押しつぶされてしまうのである。

本当にこの経験は味わった人にしかわからない。そして他の人にはなかなか理解されない。

 

 

 

 

 

人生の生きにくさを感じるのである。

 

 

 

 

 

ただ、物事は常に同じではなく変わり続けるものである。

自分の心も同じで、苦痛だった日々も自分の好きなことをしたり、楽しいことをして過ごしているうちに段々と元気を取り戻して、前の自分のように笑える日がやってきた。

そんな自分を俯瞰してみていると、崩れても案外何とかなるものだと理解できるようになる。

 

そして、大きな挫折・どん底を味わったとき、

同時に新しい価値観や考え・自分のこれからの人生の歩み方を学ぶことができると個人的には思う。

いや、そう思えた方が早く立ち上がることができるのだと思う。

 

最初からすんなりできるなんてことはない。

時間がかかってもいいから、少しずつでもいいから、

今までの考え方とは視点を変えて、自分らしい生き方を模索していく。

挫折やどん底、苦しみはそれらを見つけ出しやすくするために欠かせないものなのかもしれない。

 

それを知るのは、その苦しい環境から出られることができた後の話。

 

 

他人からは否定的なことを言われるかもしれないが、それは仕方がない。

なぜなら、自分の心のことなどわかるはずもないからである。

ただ、それでも優しい言葉やそっと見守ってくれる人が近くにはいる。

すぐそばにいなくても、ふと歩いて行動して、何かしらのきっかけで出会うこともある。

 

生きている限り、希望はまだどこかしらに存在する。

心が元気に穏やかになれば、きっとどんな人でもそういう考えを得ることができると思う。

 

 

 

現在、私も新年を迎える前に心の平穏と元気を取り戻した感覚がある。

好きなものを好きと思えるようになり、楽しいことを楽しいと思えるようになり、

新しい1歩を踏み出そうという気持ちも湧いてきた。

 

そして、何より大きく変わったことが、

 

 

 

自分自信が何者なのか大きく理解することができ、

そして今までやってきたことは間違いではなかったと自信を持てたことである。

 

 

 

具体的なものはまだ定まっていないが、

自分自信を理解できたことで、これから先の人生をまたふみ外すさずにブレずに生きていけるような気がしている。

もちろん、新しい苦難は当たり前のようにやってくるとは思うが、

それでも自分に自信を持って、自分を信じて選択できるそんな気がしている。

 

 

 

 

失うものも大きかったが、得るものはさらに大きかった。

 

 

 

 

2022年最後は再び立ち上がり、

2023年から新しくゼロスタートで、新しい自分で自分らしく歩んでいこうと思う。

 

 

最後までご愛読いただきありがとうございました。

 

 

ひでり

 

適応障害 #HSS型HSP  #闘病日記 #はてなブログ #どん底

【#4】苦しみの根本的な原因

おはようございます。ひでりと申します。

朝にこの記事を書いているので、今回は「おはようございます」始まりで書いていこうと思います。

今日も今日とてふとしたことを書き綴っていこうと。

 

 

本日は「苦しみの根本的な原因」について書いてみようと思います。

あくまで個人的見解かつよくわからないことを淡々と書いていきますので、軽い気持でご覧いただければ幸いです。

 

現在、私は適応障害で社会の流れから離脱して休養しております。

休養を始めてから数ヶ月が経とうとして、体もだいぶ動けるようになりそろそろ社会復帰したいなと思いながら日々を過ごしてる。

ただ、焦ってまた体を崩しては本末転倒と今までの経験から思い出し、ひとまず今できることをやろうと日々生きております。

 

自分が適応障害になるなんて思っても見なかったし、

今まであんなに調子が良かったにも関わらず、ふとした一瞬の選択で人生が180度変わり絶望のどん底を味わうことを今回学びました。

 

 

 

 

 

「なんで自分だけがこんな目に遭わなければいけないのだろう...。」

 

 

 

 

 

考えたくもない、寄せ付けたくもないネガティブ思考が今も頭の中を駆け巡って、

前向きに進もうとする自分を妨げる、そんな日々を今は繰り返している。

 

ただ、自分の中ではこの絶望的状況はずっと続くことはないと信じている。

以前、潰瘍性大腸炎で同じような状況にあった時も、数ヶ月後には新たな価値観を自分の中に宿して復活した。

今回もきっと自分に必要な価値観を見つけて、新しい自分になって進むことを課せられているのだなと、

そう思えるようになってきた。

 

 

 

 

それがきっと、「苦しみの根本的な原因」を見つけるということだと考えた。

 

 

 

 

潰瘍性大腸炎になったとき、病気と共に仕事も半強制的にクビになった。

その時も何もかもを失い、生きていく自信がなく希死念慮に襲われる日々を過ごしていた。

動けるようになっても転職活動はあまりうまくいかず、公務員試験の勉強を親の勧めでやってみたものの

自発的な行動でなかったため、「何のために公務員になるのだろうか...」と疑問に思いながらただ時間とお金を費やす日々を過ごしていた。

 

そんな数ヶ月を過ごしていた時、書店でとある1冊の本に救われた。

それが、「嫌われる勇気」という本である。

今まで本なんか全く読んでこなかった人間だったのだが、その時は直感的に「この本を読んでみたい」と思い、

残り僅かな貯金にもかかわらず、すぐさまその本を購入した。

 

1冊の本を読むのに1週間以上かかる人間だったのだが、その本だけは1、2日間ですぐに読み終えてしまった。

 

 

 

 

 

読み終えた後、視界が一気にクリアになり生きている実感を再び取り戻した。

 

 

 

 

 

灰色だった外の景色が一気に色づいて、

まだ先も定まっていなかったが、「何とかなる」という絶対的な安心感がその時芽生えた。

ものすごく不思議な体験をした。

それから、知り合いづてて仕事を紹介してもらい、無事に入社して社会復帰することができた。

生活の基盤も安定し、仕事でお金をいただき心を安定させて暮らせていけている現実に感謝しながら生きることができた。

 

この時、自分の苦しみの根本的な原因になっていたのは、「他者から嫌われる」という考え方だった。

他人から嫌われないように人の目を気にしながら、自分の気持ちを押し殺して生きていた。

学生の頃まではこの考えでもうまくバランスをとりながら通じていたが、社会では残念ながらこの考えで自分の体や人生を傷つけてしまった。

それが明確になった瞬間、自分の人生が一気に好転した。

 

今回も同じような類だと考えている。

苦しみの根本的な原因となる何かを明確にする必要があり、

それが自分の中で腑に落ちた瞬間、視界が良好になり新しい道がひらけていくのだと思う。

 

まだそれが何なのか明確にはなっていないが、少しずつ答えには近づいてきている気がする。

その一つが、「HSS型HSP」という性質に出会ったことである。

自分自身が今までどういう人間だったのか分からず彷徨い歩いていたが、

まるで自分を代わりに説明してくれているかのように、考え方や行動・価値観を説明してくれた。

 

 

 

 

 

自分自身が今まで好きだったもの、興味関心があったものも

すべてがありのままの自分であり、自分自身の存在を肯定してくれた気がした。

 

 

 

 

 

その他にも、人のために生きて行かなくてはいけないという「他者依存」の考えも自分を苦しめた一つの原因だと思う。

「嫌われる勇気」を一時期理解したとしても、まだ心の奥底に嫌われたくないという考え方が残っていたこと、

そして、「他人に認められたい」「もっと頑張らなければいけない」という気持ちが強くあったことが今回の現実を引き起こしたのだと思う。

 

 

 

 

 

充足感よりも不足感が優っていたのである。

 

 

 

 

 

これも意識が自分ではなく、他人に常に向いていたことから「もっと〇〇が欲しい」という欲が生まれていたのだろう。

今では他者との関わりもほとんどないため、自分に意識を向けて日々のありがたみを少しずつではあるが実感して生きている。

 

 

病気になったことはもちろん悔しいし苦しいし嫌だったし、何で自分だけがという感情が消えるわけがない。

ただ、それでもこれから自分の生きやすい人生を歩んでいくためには必要な時間であることは確かだと信じている。

他人からどう思われても何を言われても、その感情も一瞬の出来事であり、

祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり」という言葉があるように、物事は常に移り変わっていく。

ものにしかり人の考えにしかり関係にしかり存在にしかり。

 

 

変わる変わる世界でも、自分の生きやすい生き方というものは自分で作れるはず。

世間や一般常識と異なっても、苦しんで生き続けるよりかは楽に楽しく生きるほうが生きがいがある。

 

 

 

 

 

レールから外れようが認められなかろうが、もういいのではなかろうか。

 

 

 

 

 

今はただ自分が生きやすい生き方だけを考えて、この先生きていこうと思う。

 

 

 

 

 

と、頭の中で思いました。

本日もかなり吐き出せてスッキリしました。よく書いた自分。すごいぞえらいぞ。

また次も書いていこうと思います。

 

 

最後までご愛読いただきありがとうございました。

 

 

 

 

おわり

 

#闘病日記

#適応障害

#HSS型HSP

#潰瘍性大腸炎

#はてなブログ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【#3】頑張らない勇気

こんにちは。こんばんわ。おはようござます。

ひでりと申します。

 

ブログ開設してから3記事目。

無理に書こうとはせずに、自分の気分が乗った時にその時思ったことを吐き出すかの如く書き連ねております。

昔、何度もブログを開設していたのですが、「毎日書かなければいけない!」みたいな呪縛にやられていた自分がいたせいか、1年も持たずに挫折する経験を何度も繰り返してきました。

やり方が間違っていた気がしたので、今では気ままに書いていこうと思います。

 

 

 

そんなわけで、

 

 

 

本日は、「頑張らない勇気」について書いてみようと思います。

あくまで、個人的かつ感情的・直感的に思いついたまま書いておりますので、軽い気持ちで見ていただければと。

 

 

 

 

 

幼少期から親や先生、親戚やその他の出会った人からよく言われた言葉

 

 

「頑張ってね!」

 

 

この言葉を洗脳されるかの如く頭に擦り込まれ、何の疑いもなく信じて頑張ってきた。

自分は周りに影響されやすく、変に断るのも無視するのも下手な人間だったので、

常に

 

 

【頑張りに答えなければいけない】

【頑張って認めてもらわなければいけない】

 

 

そんな気持ちが心の奥深くに潜めいた状態でひたすら歩いてきた。

学生の頃までであればがむしゃらに行動して、

自分が興味あることに何でも飛び込んで、体を酷使してまでも色んな経験をしてきた。

その都度、達成感や充実感を味わって心を満たしてきた。

 

 

 

ところが、社会人になってからは180度一変した。

 

自分が頑張ろうと思うほどうまくいかず、何度も落ち込んでは自分を励ましてた。

そして断れない性格や勢いで行動する性格もあり、自分のキャパを軽々超えて体を2度もぶっ壊してきた。

体を壊すたびに毎回毎回頭の中で思っていた。

 

 

 

「何で頑張っているのに、病気になるのだろう...」

「普通に頑張り続けたいのに、なんで続かないのだろう...」

 

 

社会人になってからこの感情が幾度と頭の中を駆け巡っていた。

 

一度体を崩してからは、頑張りすぎないよう健康に気をつけていこうと決心し、

食事・睡眠・運動を心がけて生活してきた。

確かに心がけたその期間はものすごく心が安定して、生活は充実していた。

ただ、心が安定した途端自分の奥底で潜めいている「頑張らないければいけない」モンスターが大きく前に出始め、自分のキャパを超えた行動を取ろうとする。

 

 

 

そしてまた、体を崩す。

 

 

 

頑張っても頑張っても途中で崩れると、人間社会は一瞬にして見放す。

残念ながら、これは社会的動物がゆえに大多数から外れたものは自分とは異なる、仲間ではないと思うように遺伝子にプログラムされているからどうしようもないのである。

 

見放されると一気に人間としての価値を損ない、ネガティブな考えが頭を巡る。

無価値な自分が生きていてもしょうがない。ここから消え去りたい。

正直そんな気持ちを抱きたくないのに、自然と頭の中で生まれてしまう。

 

 

 

 

 

世の中ってこんな生きにくいんだっけ...

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ただ、体を崩し病気になり、何もかも失ったと思ってもそこから新たに気づくことがある。

自分自身が今回の適応障害で気づいたことは、

 

 

・自分がHSS型HSP気質であること。

・頑張っても報われるわけではない。

・人は自分に対してそんなに興味はない。(これはきっと親も含め)

・自分と他人を切り分ける。

・頑張るペースは人それぞれ。

・他人の幸せを思うなら、まず自分が幸せにならなければいけない。

・違和感があるものやことを放っておかない。

・自分の考えをもっと信じる。

・自分にもっと優しく甘えて、わがままでいい。

 

 

以上である。

自己中心的で自分勝手のように見えるが、

HSP気質である自分は、他人を卑下したり見下したり傷つけたりするのは自分の心が痛むのでやらない。てか、やりたくない。

だとしたら、周りの言う「頑張れ」に答えて頑張る必要もなく、もっとわがままで自分に甘くしていけばいいのではないだろうか。

「嫌われる勇気」と言う本があるぐらいだから、「頑張らない勇気」もあっていいとのではないだろうか。

 

 

と、朝散歩して思いました。

 

 

 

 

親だろうが友達だろうが何だろうが、自分には自分のペースがある。

複雑に見える世の中でも、複雑にしてくる環境が身近にあったとしても、

嫌われる勇気と頑張らない勇気を持って、自分がまず幸せになるために生きていきたい。

 

 

 

 

 

 

失ったらまた新しく始めればいい。

太陽と風が心地よく感じられたなら、また歩き始められる合図。

そんな気がするので、一歩ずつ自分の生きやすいように歩んでいこうと思います。

 

 

 

 

おわり

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【#2】HSS型HSPという気質に気づく 

ひでりと申します。

昨日に引き続きブログをカキカキ。。。

 

 

さて、今日は自分の過去を洗いざらい出してみようかと。

自分は自然に囲まれた田舎生まれ田舎育ちの人間。家の周りには田んぼ・川・山の3点セットを常に眺められる場所で生活してました。

当時の自分を今振り返ると、

 

 

◆好奇心旺盛

 →興味があることや場所に飛び込む。

◆恥ずかしがり屋

 →他人の視線が常に気になり、引っ込み思案でよく緊張していた。

◆1人の時間が好き

 →部屋に引きこもって1人の時間を作るのが好きだった。

◆感受性が高く、敏感

 →些細なことに気づきやすく幸せを感じやすいが、逆にストレスも感じやすい。

◆責任感が強い

 →途中で投げ出すことが苦手。

◆周りに影響されやすい、圧倒されやすい

 →プレッシャーや口調が強かったりすると、圧倒されてしまう。

◆芸術や空想的なものが好き(特に音楽)

 →特に音楽。むしろ音楽がないと生きていけない。

 

などなど。

 

 

インドアとアウトドアのハイブリットのような性格。

正直、自分は内向的な人間だとずっと思っていたが、

初対面の人にも自分から話しかけたり、仲良くなりに行ったところから、側からはきっと外交的な人間だと思われていたのではないかと思う。

 

 

「自分から見る自分」と「他人から見られる自分」のギャップ。

 

 

学生の頃はそこまで苦にならなかったが、社会に出てからものすごく苦労した。

 

 

初めて入った会社で営業に配属されたが、潰瘍性大腸炎になり半年で退職。

2社目は任期制の会社で、任期満了の4年働たが、年度ごとに働きやすさが異なっていた。

3社目では思い切って挑戦しようと異業種・異業界に転職したが、適応障害になり退職。

 

 

この時点で、自分自身の存在に絶望し、無価値な人間として自分を否定する毎日が続いた。

 

 

「今まで自分なりに頑張ってきたのに、すぐに崩れ落ちる...」

「自分の考えていることと現実のギャップが異なる...」

「なんで自分はこんな人間になったのだろう...」

 

 

自己否定する言葉が頭を駆け巡り、容易に自分を傷つけた。

正直な話、いつでもこの世を去ってもいいのではないかと、幾度と考えた。

 

 

 

 

「これからどうすれば...」

 

 

 

 

実家で療養中、あるワードがふと目に飛び込んできた。

 

 

 

「HSS型HSP

 

 

 

HSPについては、以前から本を読んでなんとなく目にしていた。

自分に当てはまることもあったが、これは違うなと思う内容もあり、自分はHSPではないなと思っていた。ただ、HSPにも4つも種類があることを療養中に知った。

 

その中の一つが、「HSS型HSP」。

 

HSS型HSPの特性として、

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

・新しい物好きだが飽きやすい

・外出は好きだが、人混みや騒音などで疲労しやすい

・周りからは明るく社交的に見られるが、実はそうではない

・周りからは落ち着いていると言われるが、心の中では焦っている

・好奇心旺盛だが、警戒心も強い

・初対面で打ち解けるが、だんだん疲れて距離ができる

・大胆な行動に出るわりに、些細なことで引きずる

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

などが上げられる。

 

 

この内容を見た時、正直目から鱗だった。

自分に当てはまることが多すぎて、釘ずけになって内容を読んだ。

 

 

 

 

そして、やっと自分のことが理解できた。

気づけば、心も少し軽くなっていた気がした。

 

 

 

 

自分が何者なのか、ずいぶん長い間探し彷徨っていた。

何度も何度も色んなことに挑戦しては、挫折を繰り返し、

自分がやってきたことが正しいと思いながらも、理解されないまま息苦しく生きてきた。

そして、ようやくここで1つのゴールに辿り着いた、そんな気分だった。

 

 

「自分は何もできないわけではない。無価値な人間ではない。」

 

 

そう思えるようになり、

これからどう生きていくのかも、やっと自分で決められるような気がした。

 

 

 

気づけば28年生きてきた。

現実的な行き先や目的地はまだわからないし、茨の道がこれから待っているだろう。

ただ、自分自身の特性を知ることができたから、自分らしい生き方がこれから探せるだろうと前向きになってきている。

 

 

 

 

【絶望の後には希望がある】

 

 

 

この言葉を信じて、新しい自分をこれからスタートさせていきたい。

 

 

 

 

 

最後までご愛読いただきありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

【#1】初めての日記

2022年11月。初めて精神疾患になった。

病名は「適応障害」。

自分自身がまさか適応障害になるなんて思いもよらなかった。これは病気になった人は誰しも思うことであろう。

 

仕事も休職からの自然退職。

一人暮らしも引き払い、一度実家に帰省した。

 

 

すべてを失ったと思った。

 

 

 

今まで頑張ってきたことはなんだったのだろうか。

なんでこんなことになってしまったのだろうか。

こんな状況、自分は望んではいないのに。

 

自暴自棄になり、希死念慮が頭を駆け巡り、

今まで好きだったものがすべて興味がなくなり、

生きている自信さえも失った。

 

ベットてただ横たわっているだけが精一杯だった。

 

 

 

休養から2ヶ月...。

少しずつではあるが、やっと前向きに歩めるようになってきた。

外に散歩に出たり、ノートに日記を書いてみたり、アニメや動画を見て笑えるようにもなった。側から見たら大したことでもないように思えるが、自分にとっては大きな進歩だった。

少しずつ前に進もうと思う中、自分の考えや想い、今までのことを文章にして残そうと考え、このブログを立ち上げた。

 

少しずつではあるが自分の人生を書き記し整理しながら、これから先どう歩んでいこうかを考えていこうと思う。

 

 

よろしくお願いします。