【#4】苦しみの根本的な原因
おはようございます。ひでりと申します。
朝にこの記事を書いているので、今回は「おはようございます」始まりで書いていこうと思います。
今日も今日とてふとしたことを書き綴っていこうと。
本日は「苦しみの根本的な原因」について書いてみようと思います。
あくまで個人的見解かつよくわからないことを淡々と書いていきますので、軽い気持でご覧いただければ幸いです。
現在、私は適応障害で社会の流れから離脱して休養しております。
休養を始めてから数ヶ月が経とうとして、体もだいぶ動けるようになりそろそろ社会復帰したいなと思いながら日々を過ごしてる。
ただ、焦ってまた体を崩しては本末転倒と今までの経験から思い出し、ひとまず今できることをやろうと日々生きております。
自分が適応障害になるなんて思っても見なかったし、
今まであんなに調子が良かったにも関わらず、ふとした一瞬の選択で人生が180度変わり絶望のどん底を味わうことを今回学びました。
「なんで自分だけがこんな目に遭わなければいけないのだろう...。」
考えたくもない、寄せ付けたくもないネガティブ思考が今も頭の中を駆け巡って、
前向きに進もうとする自分を妨げる、そんな日々を今は繰り返している。
ただ、自分の中ではこの絶望的状況はずっと続くことはないと信じている。
以前、潰瘍性大腸炎で同じような状況にあった時も、数ヶ月後には新たな価値観を自分の中に宿して復活した。
今回もきっと自分に必要な価値観を見つけて、新しい自分になって進むことを課せられているのだなと、
そう思えるようになってきた。
それがきっと、「苦しみの根本的な原因」を見つけるということだと考えた。
潰瘍性大腸炎になったとき、病気と共に仕事も半強制的にクビになった。
その時も何もかもを失い、生きていく自信がなく希死念慮に襲われる日々を過ごしていた。
動けるようになっても転職活動はあまりうまくいかず、公務員試験の勉強を親の勧めでやってみたものの
自発的な行動でなかったため、「何のために公務員になるのだろうか...」と疑問に思いながらただ時間とお金を費やす日々を過ごしていた。
そんな数ヶ月を過ごしていた時、書店でとある1冊の本に救われた。
それが、「嫌われる勇気」という本である。
今まで本なんか全く読んでこなかった人間だったのだが、その時は直感的に「この本を読んでみたい」と思い、
残り僅かな貯金にもかかわらず、すぐさまその本を購入した。
1冊の本を読むのに1週間以上かかる人間だったのだが、その本だけは1、2日間ですぐに読み終えてしまった。
読み終えた後、視界が一気にクリアになり生きている実感を再び取り戻した。
灰色だった外の景色が一気に色づいて、
まだ先も定まっていなかったが、「何とかなる」という絶対的な安心感がその時芽生えた。
ものすごく不思議な体験をした。
それから、知り合いづてて仕事を紹介してもらい、無事に入社して社会復帰することができた。
生活の基盤も安定し、仕事でお金をいただき心を安定させて暮らせていけている現実に感謝しながら生きることができた。
この時、自分の苦しみの根本的な原因になっていたのは、「他者から嫌われる」という考え方だった。
他人から嫌われないように人の目を気にしながら、自分の気持ちを押し殺して生きていた。
学生の頃まではこの考えでもうまくバランスをとりながら通じていたが、社会では残念ながらこの考えで自分の体や人生を傷つけてしまった。
それが明確になった瞬間、自分の人生が一気に好転した。
今回も同じような類だと考えている。
苦しみの根本的な原因となる何かを明確にする必要があり、
それが自分の中で腑に落ちた瞬間、視界が良好になり新しい道がひらけていくのだと思う。
まだそれが何なのか明確にはなっていないが、少しずつ答えには近づいてきている気がする。
その一つが、「HSS型HSP」という性質に出会ったことである。
自分自身が今までどういう人間だったのか分からず彷徨い歩いていたが、
まるで自分を代わりに説明してくれているかのように、考え方や行動・価値観を説明してくれた。
自分自身が今まで好きだったもの、興味関心があったものも
すべてがありのままの自分であり、自分自身の存在を肯定してくれた気がした。
その他にも、人のために生きて行かなくてはいけないという「他者依存」の考えも自分を苦しめた一つの原因だと思う。
「嫌われる勇気」を一時期理解したとしても、まだ心の奥底に嫌われたくないという考え方が残っていたこと、
そして、「他人に認められたい」「もっと頑張らなければいけない」という気持ちが強くあったことが今回の現実を引き起こしたのだと思う。
充足感よりも不足感が優っていたのである。
これも意識が自分ではなく、他人に常に向いていたことから「もっと〇〇が欲しい」という欲が生まれていたのだろう。
今では他者との関わりもほとんどないため、自分に意識を向けて日々のありがたみを少しずつではあるが実感して生きている。
病気になったことはもちろん悔しいし苦しいし嫌だったし、何で自分だけがという感情が消えるわけがない。
ただ、それでもこれから自分の生きやすい人生を歩んでいくためには必要な時間であることは確かだと信じている。
他人からどう思われても何を言われても、その感情も一瞬の出来事であり、
「祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり」という言葉があるように、物事は常に移り変わっていく。
ものにしかり人の考えにしかり関係にしかり存在にしかり。
変わる変わる世界でも、自分の生きやすい生き方というものは自分で作れるはず。
世間や一般常識と異なっても、苦しんで生き続けるよりかは楽に楽しく生きるほうが生きがいがある。
レールから外れようが認められなかろうが、もういいのではなかろうか。
今はただ自分が生きやすい生き方だけを考えて、この先生きていこうと思う。
と、頭の中で思いました。
本日もかなり吐き出せてスッキリしました。よく書いた自分。すごいぞえらいぞ。
また次も書いていこうと思います。
最後までご愛読いただきありがとうございました。
おわり
#闘病日記
#適応障害
#HSS型HSP